「談話室」はサイトウ歯科に来院中の患者さんより

お寄せいただきました文章を、原文のまま、ご紹介しています。

四本の自前の歯

                          世田谷区 小谷 米子(85)

 私の小さい頃と言いますと、昭和の初めの頃ですが、大概の子供は3時の「おやつ」にお菓子を食べる習慣があったと思いますが、私もキャラメル、チョコレートや甘いお菓子等を毎日食べていました。その頃は歯は寝る前に一度歯ブラシで簡単に磨くだけで、歯をもっと大切にしなかった事を悔やまれます。小学校五年生の頃から歯痛に悩まされ始め、以来長年歯痛との戦いが始まりました。

 女学校を卒業してから、父の職業の関係で満州の奉天に一年、それからソ連の突然の参戦による爆撃に驚かされた北朝鮮の羅津での生活を経て、日本に引き揚げるまでは、甘いものはなかなか口に入らず、お陰で歯痛とは縁がなく過ごせた事は、歯医者のいない所でしたので幸いでした。

 戦後結婚してから、二人の子供を育てることや、舅の世話に時間を取られていましたが、昭和四十年頃から昔の処置した歯が再び痛み出しました。

子供と舅を家に置いて、長時間歯の治療に出掛けるわけにもいかず、いろいろ探していたら、近所に予約はなく、いつ行ってもよいという女性の歯医者さんがいることが判り、そこで治療して頂くことにしました。

奥歯を治療して、半年するとまた痛みだしたので治療をお願いすると、この歯は抜いた方が良いと言われ、歯の知識が無かった私はお願いせざるを得ませんでした。こうして十数年の間に、上の歯、下の歯とどんどん抜かれ六十才になった時は、下の歯四本だけを残して全部抜かれてしまいました。そして上と下の義歯を作って頂いたのですが、硬い食べ物は噛むと痛むので、やわらかくしないと食べられず、しかも顔付きもきつく見え困っていました。

 するとある日、書道のお弟子さんで、政府の高官の奥さまのIさんが「先生、歯を変えられましたね」と言われ、「そうなんですの、おまけに痛くて噛めないの」と申しましたら「私の知っている歯医者さんで斉藤先生と言う方がいらして、母が義歯を作って頂いたら、とても調子がいいし、顔も良くなったと喜んでいますよ」との事でしたので、早速斉藤歯科医院の場所を教えて頂いて伺うことにしました。

斉藤先生に診て頂くと、学問的な説明があり、今入れている義歯を調べた結果、噛み合わせの線のカーブが違っていることも判り、色々なご説明に唯驚くと共に、技術にこうも違うものかと、すっかり感心したことが忘れられません。

世田谷から蒲田迄は一時間以上かかりますが、当時はまだ六十才代でしたので、足取りも軽く、義歯の微調整のために何回か通いましたが、義歯が出来上がった時は、少しも痛む所は無く、今までとは違って何でも噛め、しかも顔付きも穏やかになったと言われ、とても嬉しくなりました。

斉藤先生の手は「神の手」だと心から尊敬しております。

 その頃から二十数年になるのでしょうか。残っていた四本の歯が痛み出しましたので、再び斉藤先生の所に通って治療を受けて居ります。

此の四本の歯は今となっては私にとって「宝もの」のような存在で、私が世を去る時もこのままであってほしいと願っています。

 先生はじめ奥様先生がおやさしく、スタッフの方々も礼儀正しく丁重に応対して下さるので、老いて衰えた脚を励ましながら、遠方を厭わず毎回楽しく通わせて頂いています。

そして今では四本の歯の痛みがとれ、前のようになりましたことを喜んでいます。