「談話室」はサイトウ歯科に来院中の患者さんより

お寄せいただきました文章を、原文のまま、ご紹介しています。

八本の歯

清水 作久治 80才

 

 5,6才の幼児期に私は祖母の住んでいる世田谷の瀬田に居りました。或る日、ムシ歯が痛んだので、祖母に知人の歯医者さんの所でその治療をして戴いたのですが、その時の嫌な思い出がトラウマになり、歯に無関心になってしまったのです。以後、成人になるまでは幸い歯科の先生にお世話になった事はありませんでした。
 20才になりました時は、太平洋戦争で旧海軍航空隊、しかも、激務の零戦隊に配属され、2,3のムシ歯があったのですが、この2年間というもの朝起床して顔を洗ったり、勿論歯を磨く時間もありませんでした。
 現在の日本の状況から察することもできませんが、海軍では水を命の次位に大切にしていたのです。歯を磨き、顔を洗う、口をゆすぐのに使用できる水は、爪楊枝程度の太さに出る否、垂れている水道水を使用、然も時間的に云えば、1個の蛇口に10人位群がり使用するので10~20秒程の時間しか持てませんでした。洗顔というより水を顔、いや、眼につけるという感じだったのです。この2年間終戦の日までは幸運にも歯の痛みも、勿論治療も、一切なしに過ごしました。
 戦後は葛飾区のい方に移転しましたが、そこで今迄の歯への関心が薄れていた罰が‥一度に歯の異常が出て、歯科の先生の御厄介になるばかり、一度に奥歯3本も抜かれたのです。抜かれることには全然といってよい程抵抗なく、痛いとは思いませんでした。ここまではまだ良かったのですが、その後、蒲田の現在の住まいに移り55才の時、ひどい目に遇いました。
 或る日の午後、治療のため或る歯科医院で奥歯を抜歯、痛み止めのクスリを戴き、「痛んだ時に飲むように」と言われて帰宅、その後に痛みも、出血もありませんでした!が当日の夕食後、処置後、3,4時間経っていたのですが、突然、出血が始まり、いくら脱脂綿を固くまるめて止血に努めたのですが、無駄で、それを繰り返している中に夜半になってしまったので、致し方なく119番にTELしました。近くの病院にも歯科はなく、止む無く新宿区の慶応病院まで行き出血部分を縫合、止血剤の処置をして戴き、夜半なので電車もなくその病院で一晩泊まり、帰宅したことを覚えています。
 サイトウ歯科医院の先生方にお会いしたのは、今より13年前、歯周病と虫歯で上前歯八本を残した時でした。初診の際の丁寧な診察と、歯に関しての説明、処置、歯磨き方法等、その時に作っていただいた義歯は現在迄そのまま残されています。咬合状態良好で固い肉、その他何でも美味しくいただいて健康を維持して居ります。
 一時は総義歯まで覚悟した私ですが、13年間診て戴いた自分の大切な歯8本をこれからも大切にしていく心算です。サイトウ歯科医院の先生始めスタッフの皆様、今後もよろしくお願いいたします。