「談話室」はサイトウ歯科に来院中の患者さんより

お寄せいただきました文章を、原文のまま、ご紹介しています。

私感/ブラッシングは至福の時間

                                                          安田 英二(71歳)

「さあ、ブラッシングをしましょう。倒しますよ」椅子の背が、ゆっくりと後方に傾く。目を閉じる。年に2回の私の至福の時間がこうして経過していく。

 至福の時間とは古風で大仰な物言いだが、実感である。私の場合、日常日頃の歯磨き不行き届きのせいで、歯と口腔の定期健診は、点検にとどまらず、出血部分の手当てから、虫歯や歯周病の初期治療にいたることも稀ではない。しかし、その時期になると、そろそろ健診案内がくるかな、と毎回心待ちしているのである。

 さて、居相さんのブラッシングが始まった。身も心も(身とは口内と歯のことだが)すべておまかせして、のんびりしていると、やがて、いつものことだが、しのびよるように、ねむけがやってくる‥。

 おや?なにかいつもとは違う気分感覚なのだ。睡魔の訪れどころか意識が明瞭になっていく。歯間をとらえた歯刷子の毛先がしなやかに動くのが目にみえるように感じられるのだ。歯刷子が移動する。毛先が右上奥歯の内側にある。毛先の歯に当たる角度、歯に触れる強さ、そして歯の上を動く速さ、そのひとつひとつがくっきりと実感できる。

 歯間・歯の内側は、私の毎日の歯磨きで苦手な部分である。定期健診では、いつも歯刷子の使い方の具体的指導とともに入念なアドバイスをされる。「はい!わかりました」と返事だけは素直にするのだけど、自分でやってみるとうまくできない。ゴッシ、ゴッシと歯の表面を強く刷子でこするだけで、「まあいいか」と諦めてしまう。あたりまえのように次の健診では、そこが見抜かれて、またふたたび注意となる。

 日常の私の歯磨きといま私が受けているプロによるブラッシングと、どこがどのように違うのだろう。とにかく、いま現実に目に見えるように実感できる歯刷子の動きをはっきりと認識把握して覚えておくことにしよう。それしかない。それにしても、ひとさまにしてもらうブラッシングのなんと気持ちよいことか。

 これは歯と歯茎の味わう快楽である。歯にとってもこんなに丁寧に手入れしてもらって、欠落することもなく、傷むこともなく、いつまでもこの場所に居て、丈夫で長持ちできることは幸せである。歯も幸福である。目に眼福、口に口福あるように、歯にも歯福があるのだな。いいことである。しあわせである。なぜか意識の明瞭さが、とろけるようにうすらいで、どこからともなく、あのなつかしいねむたさがしのびよってくるのであった。